韓国支部よりキム・ギタェ
(編集部注)日本語で表記されたレポートを原文のまま掲載しました。
押忍!韓国支部のキム・ギタェです。まず第2回空道アジア選手権という大きな大会を韓国で行うように誘ってくれた塾長と実際に大会ができるように全面的な支援をしてくれた菅原秀文先輩(北海道本部長、札西支部長)に誠に感謝します。それから実務のことを教えてくれた事務局の皆さん、審判として参加してくれた中西明彦(大道塾名張支部支部長)、黒木克昌(大道塾江東支部支部長)、中西博之(大道塾安城同好会責任者)、寺園紳一(大道塾中部本部責任者)先輩たちと日本の選手団にも感謝しています。
第2回アジア選手権大会を韓国でやることが決まれた後、6月にロシアのオープンアジアンカップに参加した時、こんなに偉い規模にはなれないけど内容だけでは負けない大会を作りたいと思いました。それから自分なりの準備作業をやりました。昔韓国の総合格闘技イベントのスタッフやアマチュア大会の総括役として働いた経験もあったから自慢しましたが、やっぱり今回は規模が違いました。
なによりも海外の国から来るチームのケアーが足りなくて結局モンゴルやスリランカからの選手たちは来れない事態になっちゃいました。試合を準備してきた選手たちにも迷惑を掛けたし、それによってセミナーや一般審査の参加者だったのにいきなり試合することになったアルベック・ナスレヂン(カザフスタン支部長)とアヌンチャ・ラサミヤ(札幌西支部のムエタイ・コーチ)、リ・ジンウ君なども大変だったと思います。それにも皆さんが協力してくれて、第2回アジア選手権大会は日本、韓国、キルギズスタン、カザフスタン、タイの5カ国からの選手が参加することができましたので本当にありがたいと思ってます。
大会日だった7月27日の前日、26日にはまず塾長と日本の支部長たちによるセミナーおよび昇級審査がありました。私がまだ記者だった2008年に塾長を韓国に招待してセミナーを行ったのが大道塾との縁の始まりでしたし、あれも第1回アジア選手権大会の向けでした。だから私としては今回のセミナーと審査は感銘深かった一方、2009年国際空道連盟の韓国支部が総本部から認定されたから5年目になってやっと塾長を招待したってことが申し上げないとも思います。
審査を兼ねた基本と移動稽古セミナーは動作一々どう言う意味があるのかを確実に理解できるように細かい説明がありました。参加した韓国の生徒たちに塾長から直接基本と移動を教えられて昇級してもらったことは凄く意味ある記憶になったろうと思います。
次は黒木先輩の投げ技と寝技のコツのセミナー。短い時間だったけど本当に大事なポイントだけを教えてくれて通訳しながらもさすかだと思いました。
最後に審査のハイライトでもあったスパーリング。個人的には弟子のジャン・ユンゼ君が最近組み手で勝ったことがなかったのに海外の茶帯と戦って勝てたのが嬉しかったです。それからここでは6月に八王子大会で審判受験を受けた私とイム・ぜヨン(韓国DAEGU/BUSAN道場長)の審判練習も含まれていましたが、残念ながら本番では二人とも大会の進行のため審判のことはやれなかったです。いつかの審判デビューを楽しみにします。
セミナーが終わってウェルカム・パーティ。ここでのハイライトは参加した選手とスタッフ全員の自己紹介でした。特に-250級の韓国のキム・グランスゥと総本部の深澤元貴選手が27日と28日が誕生日だったことでもし二人が決勝で出会って誰が喜びの誕生日になって誰は悲しみの誕生日になるか決着すればと話したことが本当に大会で成り立ったので面白かったです。
いよいよ大会当日、7月27日になりました。実はこの朝寝坊してしまいましたし、いきなり掲示板プログラムが設置されていたノートパソコンはそれまでの激務にKOされたのか動けない状態になる非常状況がありました。ここからは本当にスタッフの皆さんの知恵と積極的な対応のおかげで大会の進行ができたと思います。本当にありがとうございます。
試合の詳しい内容は他のレポートにもいっぱい載せられると思いますので、印象強かったことだけをいくつか書いてみます。まずは「空道らしさ」の重要性でした。250戦績を持ってる元ラジャダムナン・バンタム級チャンプのタイ人も、サンボのスポーツマスターでチャンプでもあるキルギズスタン選手も空道ルールでは空道らしく戦う人に勝てないことがまた確認できました。特にこれは日本選手たちの試合がよく見せてくれたと思います。あの試合たちを見て、直接戦ってもみたことは韓国選手たちに凄くいい勉強になったと思います。
次は韓国チームの成績です。日本の選手や支部長の目に韓国選手たちがどう見えたのか気になりますが、一応私には満足できない成績で内容でした。もちろんキム・フィギュの優勝は嬉しいし、思ったより良かった部分もありました。が、もともと私の目標は2階級以上の優勝でしたし、内容的にもやり直すことがいっぱい見えたと思います。あれらを11月の世界大会までどう完成させるか、もういろいろ悩んでいます。
最後に私の大道塾が好きなことのひとつでもありますが、三角・四角・五角形などでできれば選手に最少2試合はやれるようにしてくれる組み合わせ(※)です。生徒一人ひとりに経験を積ませて、空道はただ勝負だけを大事にするのではなく、教育的な武道だということを証明するシステムだと思います。それと、これは空道だけの安全性重視がベースになってからこそできたことだとも思います。
※(編集部注)空道の公式戦で採用されている変形リーグ戦のこと。
ところが、本物の勝負はさよならパーティでありました。焼肉屋で3時間の中に肉100人分とビールだけ113瓶、焼酎とマッコリまで150瓶以上のアルコールが消えました。それから残存した群れは中華料理屋、カラオケ、また居酒屋まで頑張って結局は夜明けの5時にやっと解散、本当にみんな真っ白に燃えつきました。これも詳しいことはまた他の誰かが話してくれると楽しんでます。(笑)
月曜日の28日にキルギズスタンと日本選手団が、火曜日にカザフスタン支部長まで出国したことを確認したから、やっと大会が本当に終わったと感じました。思えば不足なことばかりの大会でしたが、とりあえずやったという気持ちもあります。実に私としては挑戦だったからです。
元々は2段昇段審査を向かっていた去年12月、私は交通事故で右足の大腿骨と脛骨の開放性骨折になりました。応急室では極小麻酔だけやった膝にハンマーで釘を打ち込んで包み、三日後に4時間予定だった手術は骨を合わすだけで7時間を過ごし、引き裂かれた軟骨の縫合まではやられなかった状態で終わりました。当然昇段審査は無理でしたし、ドクターからは「もう格闘技みたいな過激な運動はやれない。」と言われました。家族や周りの人たちもそう言いました。
だけど、大道塾には加藤清尚など同流の事故から見事に復活した先輩たちが沢山いることを知ってるから諦めるつもりはなかった、それから治療とリハビリに集中しました。1ヶ月間入院の後、皆が驚くほど回復は早かかったです。退院してから1ヶ月後はキャストを離して、2ヶ月後には松葉杖なしでも歩けるようになりました。でもやはり自由な動きはできず、指導にも難しさがありました。
そういう状態でアジア大会がやれるかと言われて、今の私にやれることを見つけたような気がしました。今までは自分の強くなるために空道をやって来たとしたら、これはまた違う意味での空道をもっと理解して、指導者として審判として韓国支部の責任者として空道をやる為の最高の勉強になりました。今すぐは反省することばかりですが、これによって私そして韓国支部はかならず発展すると確信します。それからもう一回、空道やってよかったな、思いました。
大会画像
更新日 2014.8.5