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遠征記

東由美子

お世話になっております。今遠征、選手・コーチ・審判団のサポートとして帯同させていただきました。日程中、事務局員として心に残ったエピソードを、順を追って、いくつか記させていただきます。

出発日

私自身、こんな大所帯での遠征参加は初めてなので、基本的に事務局長の手足になる心持で成田空港に集合。総勢19名、円になりぐるりと見渡すと、三種三様の選手陣を始めとし、十人十色のメンバー(の予感)。移動中など、事務局長が取りまとめようとすると、「皆、我が道をいきたいんだからさ」と塾長が一言、塾長の発言なだけに、説得力はそれはもう(笑)


渡航前の成田空港。どんな遠征になるかはまだ分かりません・・・

ウラジオまでの飛行はわずか二時間、幸先の良いスタートの予感でしたが、到着すると、目的地ウラジオはひどい土砂降り。日本の梅雨に似た高い湿度、ほんの気持ち涼しい程度でした。お気に入りだった靴も、早々、泥水でグズグズに・・・(x x)ですが、何に付けても縁起を担ごうと、全ては日本の勝利への試練に違いないと信じ込み、実際にそう思っていました。

ホテルに到着し、ドンヨリとした外の景色から一転、ホテルの内装や家具はクラシック調で、ロビーの壁は一面、高そうな額に飾られていかにも高価そうな油絵で埋め尽くされていたりと、新しくはないですが、風格ある厳かな雰囲気、ようやくイメージしていたようなウラジオストクの雰囲気を感じられたような気がしました。


ぶれてるますが雰囲気はこんな感じです(おそらく階段の踊り場?)

夕食は、「カジュアルな服装で」、と招待されたのは、日本にあったとしても高級な雰囲気の中華料理レストラン。想像以上に豪華なヤシン支部長の接遇に感謝し、堪能させていただきました。「塾長のためにこのレストランを作りました」という冗談はもしかしたら事実なのでは・・・?と今でも私は信じています(笑)

ここでは、各国の幹部・支部長が一堂に会し、かつて世界大会で対戦した小川支部長とモスクワのシニューチンさん(大会では小川支部長と同様、審判参加)が再会を喜ぶシーンも。稲垣師範と、デニス(グレゴリエフ)さん、モスクワのフィリポフさん(両者とも第1回世界大会で対戦)も同様。武道の繋がりはステキだなと実感する瞬間でした。谷井選手は翌日の計量のためにあまり食べられなかったようですが、選手は全般リラックスしているようで、安心しました。

再会を喜ぶ小川支部長とシニューチンさん。なぜか以心伝心のペアルック?兄弟のようでした。

日本チームの幹部組もかなり威圧感あります

通訳のディーマさんを囲み、リラックスした感じの選手の皆さん。会食に招待された選手は日本人のみでした

長田支部長の一本締めで閉会。並んでいるのはロシアのアナシュキン支部長(中央)とヤシン支部長(左)

大会前日

選手は計量、コーチ陣(豪華!)のフルサポートでの前日調整、その後はフリータイム。塾長含むその他は、記者会見、その後、コーチも参加し、クルージングなどの観光、審判ミーティング、最後に日本メンバーのみの夕食で士気を高め、というあっという間の一日でした。

記者会見では、極東地域のスポーツ大臣や、かつての世界大会出場選手のステパネンコさん(現麻薬取締最高責任者(極東地域?))も参加。聞くと、「警察では空道は誰もが経験したことのある武道」だそうで、ご自身も空道をやっていたために現職に至るきっかけを掴んだそうです。ロシアで空道は、まさに塾長の標榜する「社会体育」として浸透し実践されているようでした。

スポンサーボード。羨ましい限りです

写真右から、ヤシン支部長、アナシュキン支部長、塾長、コノネンコ師範(通訳)、スポーツ大臣、ステパネンコさん

多田編集長、寝不足仕事中です(笑)

ホテルを出て、日露戦争100年を記念する碑を訪れ、カーネーションと黙祷を捧げました。碑にはヤシン支部長の記銘もありました(・・・ということだそうです(笑)ロシア語は想像もつきません)。

日露戦争終結100年を記念する碑

日露両国が同時に思いを馳せ、花を手向けました

眠そうな(?)ゾーリン(モスクワ国内)支部長(笑)モスクワからは7時間の飛行だそうです


写真下方に、ヤシン支部長の記銘があるそうです

ヤシン支部長の自家用クルーザーでロシア島という小さな島へクルージング。海を渡る間、波が高く、塾長一行をのせた船は大きく揺れ、陸に辿りつくまでの1.5時間ほど、各自思い思いに過ごしながら、ただ時が過ぎ、船が早く上陸するのを待ちました(笑)

ジャパニーズマフィ・・・(恐)

やっぱりマフィ・・・(笑)

すべてはこの船長にかかってます

働くロシアの女性。とても頼もしかったです

自家用クルーザーだそうです

ロシア島です

それにしてもすばらしい歓待に、驚きと感謝の連続でした。なにせ、昼食は、朝、海で取れたばかりの山のような量の海の幸。ヤシン支部長は、大きな蟹をためらいもなくガバっと豪快に素手で掴んで割いて分けてくださって・・・、かたや、蟹の最後は、山田(新潟)支部長が慣れた手つきで、最後まできれいに身を出して下さって、なんだか、申し訳ないくらいおいしく蟹を戴きました。


こんな蟹


やっぱりこのポーズしか(笑)

その後も、次々と海で取れた巨大カレイ(?)やウニや塾長(笑)を囲んで、真っ青な海とその上に大きく広がる空を背景に、審判・コーチ陣、皆集っての四方山話や談笑は弾み、迫りくる帰りの船の時間を待ちました。

次々に出される取れたての魚たち

こんなところでも技術論(笑)の稲垣コーチ取締役(笑)

戻ってすぐに審判ミーティング。私も含め、皆さん疲れて眠そうな中、コノネンコ師範の付きっきりの通訳(日程中ずっと休む間もなく、大変お疲れ様でした!)の下、ルールの変更点・注意点、翌日の大会で初めて試行する“ポイント制”の説明や質疑をかなり詳細に行い、2時間程続きました。

初めての試行、ポイント制の説明

延々と続くように思えたミーティング

会議中、対面で眠りに落ちていく参加者を見て笑いをこらえきれない事務局長(笑)

大会当日

降りしきる雨の中(厄払い、厄払い!)、大会会場到着。会場の床はアイススケートリンクにも対応可のため、氷が敷かれているそうで、とにかく寒かったですが、きっと審判や選手は裸足で、もっと寒いのでは、と想像しました。大会は一日がかりのビッグイベントで、10時から17時までは予選(準決勝以前)と位置付けられ、17時から民法テレビ局のライブ中継も入り、ようやく開会式。放送は2時間程度の枠と予定されていたはずが、急遽、全試合が終わるまでいくらでも、ということらしく、更に3時程放送を延長・・・。すごい支持率ですね。

私は終日試合の映像撮影。座っていた正面席は低く設けられているのに対し、試合場の舞台がかなり高く作られていて、グラウンドの攻防は水平な角度がギリギリ見える程度なので、ビデオカメラを通してずっと上を見上げているような状態でした。(けっこう疲れました(笑))

ポイント制の試行は、準決勝以前まででしたが、ポイント制の表示板は大きくて見やすく(表示板の製作は事務局の柴田さん。約1ヶ月前に塾長の思い切りによって急遽製作を命じられ、嫌な顔もせずに(?笑)数回の改良にも対応して完成。試行錯誤の末、お疲れ様でした。もしかしたら特許なんて・・・(*^-^*)(笑))、一度も混乱はなく、スムーズに進みました。塾長曰く、ポイント制のメリットの反面、デメリットも見えたので、再度試行(7月の韓国でのアジア大会)をして、慎重に検討したい、ということでした。

会場風景1

会場風景2


参加国の国旗。ポイントの表示盤は写真左下


電光で飾られたイベントステージをバックに


ヤシン支部長とアナシュキン支部長と塾長

それにしても、演出は派手で、日露交流の“大祭典”という感じでした。選手にとって、試合するのにはきっと派手な演出や舞台の方がいいのだろうな、と思ったり、放送局が放っておかない程の「空道」の知名度を示す観客動員とその盛り上がりに(羨ましくも)驚いたりしました、また、会場の盛り上がりにつれて、歓声も大きくなり、おそらくブブゼラのような楽器の音が会場中に鳴り響き、審判の笛や声がかき消されているので、それはそれでちょっとマズイかなと思ったり・・・。日本側の運営する空道の大会とはまったく別物のようなイベントでしたが、いいところはこちらも取り入れ、日本基準を優先する点などは統一するなど、たくさん学ぶところがありました。

それから、全79試合中、片時も席を離れず、ポイントの記録と海外の審判受験者の審査と、日本の慣例・規定に準じた厳格な審判指導を徹底していた高橋副審判長には頭が下がりました。

約2000人の来場者(推定)(準決勝以前時点)

ジュニアによる演武。背景に墨絵で描かれたのは、もしかすると塾長の予感

壇上に上がる出番を待ちながらショーを見る日本審判団

開会式にて、ロシア語で「今日は天気が悪いですね」の塾長の一言で、会場は大きく湧き起こる(笑)

日本を筆頭に、各国審判団整列

ロシア流の開会式風景。手前の列は女子選手陣

すでに1勝した内田選手以外は、ようやくここから試合が始まる

選手退場時、加藤和徳選手

試合レポートは選手・コーチ・審判レポートをご参照ください。このまま大会概観に徹します。

大会中、一番心に留まったのは、日本チームの結束力と存在感でした。日本選手の第1戦は、1試合多く出場した内田選手。正面席の日本人一同も緊張し、固唾をのんで見守っていました。試合開始時は、コーチ陣と後に試合を控える日本選手の大きな応援の声が、広い会場にも関わらずロシア人の歓声の中を突破して際立って聞こえてきました。試合中盤あたりからは、観衆からの「UCHIDA!!」のコールが聞こえ、アウェー戦である雰囲気は感じさせませんでした。

その後も日本勢の試合では、コーチ陣からの、声と、選手に懸けた熱意も正面席まで伝わり、最高のチーム力に思えました。元北斗旗全日本体力別優勝者(※)の多田編集長も撮影しながらソワソワとしているようで、当時の試合の雰囲気を思いだし感情移入して興奮しているように見えました(あくまで私感です(笑))

※編集部注 1993年北斗旗体力別中量級優勝(決勝戦の相手は飯村健一・現吉祥寺支部長)

正面席ではグッと拳を握り、力強く応援し、塾長も大声で、「バカだなぁ、そこだ今だ、こらっ!」と身を乗り出し、明らかに、アウェー戦ではありませんでした。周りを圧倒していたような、日本のチーム力と存在感を感じ、その一員として日本チームをとても誇らしく思いました。

結果、内田選手が第三位で入賞。 全イベントが終了し、日本チーム陣が続々と集合。なぜかコーチ陣に励ましと次回への更なるスタートのお願いの声を掛けている私。それだけ日本勢の勝利に全身全霊をかけていたので、ちょっと意気消沈気味でしたから。ひとまず、大変お疲れ様でした!一方、対象的に、選手の方々は、今経験に学び課題を見つけ、既に次を見据えているように見えました。

表彰式。試合のハイライトもすぐに試合場上方のスクリーンでリピート再生されます

来場者の中から抽選で、選手のサイン入りNHGが当たる、の様子

大会閉幕後、日本選手・コーチ陣が続々と集合。お疲れ様でした!


ほぼ全員集合

打ち上げパーティーは、終日うずうずしていた塾長が、“しんみり顔禁止令”を出し、皆一緒に楽しみました、ロシア語はさっぱりなので完全にジェスチャーのみの会話でも、なんとなく通じた感じが、国際交流の好きなところ!です。


打ち上げパーティーにて。ロシアルーブルで渡された賞金を手に。(取られそうな感じが・・・(笑))

帰国日

帰りは皆さん、前夜の記憶を拾い集めながら、素に戻ったころ、東京に到着。

解散時、稲垣選手強化委員長から出た率直な言葉は、「(試合では、)もっと闘争心を出してキレろ!」(言葉はそのまま(笑))、高橋師範からは、「世界大会は完全にチーム戦」等。皆さんの発する言葉一つ一つは魂が宿っているように力強かったです。

今回は秋の世界大会に向けた前哨戦。次は、日本開催、4年に1度の世界大会。事務局として日本選手団へできることを全面的にサポートします。運営に関しては、今回見たロシアのように派手な演出には到底及ばないですが、代々木の会場では、どうか日本発祥の日本の空道を!!と、メラメラと個人的に闘争心を燃やしながら、今遠征の解散となりました。

遠征に参加された皆さん、(特に、選手の中女子1名で参加された吉倉選手には精神的サポートとして、)少しでも一助となっていたら幸いです。皆様、数日間ですが事務局に対して協力的に同行してくださり有難うございました。また日頃連盟を支えてくださっている関係者の皆様に感謝し、長文になりましたが旅の記録を残させていただきました。今後ともよろしくご支援・ご指導の程、お願い申し上げます。

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更新日 2014.6.27